久しぶりの投稿になります。僕がコーチをしていた6年生のみんなはもう中学生。緑山JYで頑張っている子、中学校の部活動で頑張っている子、また、サッカーではなくて他のスポーツや文化活動で頑張っている子もいるようです。サッカーとは人と人とが良いつながりを持つための「遊び」であるということを、みんなのプレーが証明してくれました。みんなのプレースタイルは、世界のどこに行っても仲間を作れるものです。サッカーという文化がみんなの人生に寄り添ってくれることを願っています。
さて、今日は川口能活選手について書かせていただきます。川口選手といえば誰もが知っている日本を代表するGKですが、現在はJ3のSC相模原でプレーしています。先日3月24日にその川口選手と成城大学で対談をする機会がありました。グローバルに活躍する人材、特に身体を資源として活躍する人物をテーマとしたシンポジウムで、国際経験豊富な川口選手の活躍を振り返りながら、海外でサッカー選手として生きていくことの難しさや楽しさ、そして今後の日本サッカーの課題などをスポーツ社会学者である僕と二人で語り合う、というものでした。およそ90分間、過去の映像を本人が解説したり、初めて語る真実などが飛び出したりと、来場された方々にとっても充実した時間になったのではないかと思います(シンポジウムの後は撮影会みたいになっていました)。
昨日、成城大学では川口能活選手をお迎えして「グローバルに跳躍する身体」と題したシンポジウムを開催しました。サッカー日本代表、海外クラブチームでご活躍された貴重な経験から、日本人にとってのフィジカルやプレースタイルといったことをお話しいただきました。 pic.twitter.com/uxlKoeNhut
— 成城大学 (@SeijoUniv) March 25, 2017
僕にとっても非常に楽しい時間でした。というのも初めて川口選手と公に仕事をすることになったからです。実は川口選手との付き合いは15年以上になるのですが、あまり二人のプライベートな関係を明かすのもどうかなと思ってここに書くのを控えていました。でも今回二人の関係が公になったことですし(!?)、川口選手のことについて書いてみようと思います。
1998年のフランスW杯出場、2000年のアジア杯優勝。いずれも日本代表のゴールを守ったのは川口選手でした。ゴール前での抜群のスピード・俊敏性、そして配球の精度を武器に、2001年彼はイングランドのポーツマスFCに移籍します。移籍当初はスタメンとして出場機会を得るも、その後は苦しい時期を過ごすことになります。アジア人のGKとして初めてヨーロッパのリーグに移籍した先駆者であった彼は、異国の地で一人孤独に、プレースタイルの違いだけでなく、サッカービジネスの思惑やアジア人に対する偏見とも戦わなければなりませんでした。
同じ時期に僕はロンドンに留学していました。ある時、現地の日本語新聞に掲載された僕のサッカーコラムを読んだ日本の通信社から電話をもらいました。日本人選手がイングランドリーグに移籍するので試合結果やインタビューなどを報告する通信員を探しているとのこと。現地で試合を観戦し、選手や監督にインタビューをしてお金をもらえるわけですから僕は二つ返事で引き受けました。そこから川口選手との関係が始まることになります。週末になると電車でポーツマスに行き、試合を観戦。また練習なども観に行くようになりました。異国の地で母語を話せる時間はホッとするものです。川口選手は練習後に日本人記者と一緒にお茶を飲んだり食事をしたりするようになります。他の記者があまりサッカーに詳しくなかったこともあり、そのうち僕と二人でイングランドのサッカースタイルや文化について語り合うことが多くなりました。ポーツマスの試合を二人で観ながら、意見を交換し合ったこともあります。
日本のメディアには流れなかったと思いますが、当時のポーツマスFCは川口選手に対して屈辱的な扱いをしていました。はっきりと言えますが、当時川口選手が活躍できなかったのは本人の実力の問題ではなく、移籍をめぐるトラブルにありました。当時はまだ日本で選手の海外移籍をしっかりと調整できるエージェント会社はありませんでした。代理人というのは、単にAクラブからBクラブに選手を移籍させて儲けるものではありません。弁護士の資格があれば代理人になれるように、選手の労働者としての権利を守りながら労働条件を交渉するというのが本来の仕事です。残念ながら川口選手の移籍に関わった日本側の人物は、そのような資格も意識も持ち合わせていませんでした。それによって移籍後、川口選手を守るはずの人間が舞台から消えてしまったのです。その結果、純粋にサッカーを追求しようとしていた川口選手は、ビジネス面での利益を画策していたポーツマスFC経営サイドの思惑に翻弄されるかたちで苦境に立たされることになります。
僕はお互いにイギリスで頑張る日本人として、どうにかして川口選手をサポートすることはできないかと考えました。僕自身はすぐに帰国することになっていましたので、ロンドンで音楽関係のマネージメント会社に勤める友人を川口選手に紹介しました。その友人もまた熱い人物で、川口選手をサポートしようと実際にポーツマスFCとの交渉の席に立ちあうのですが、そこで代理人の資格を持っていない人間にたいしてクラブは耳も貸さないことを痛感し、代理人資格を取ろうと決意します。遠藤貴というその人物は日本人として初めてイングランドサッカー協会公認の代理人資格を獲得し、その後川口選手の代理人としてジュビロ磐田への移籍をまとめることになります。余談となりますが、現在彼は日本代表の原口選手や柏木選手をはじめとして数多くのサッカー選手、監督のマネージメントを取り扱う会社を経営する日本屈指の代理人となりました。
※このあたりの事情は山中忍さんの書かれた『川口能活 証』という本に詳しく書かれています。たしか僕も“記者A”として登場します(笑)。
帰国後も、川口選手とは折にふれメールや電話で連絡を取り合いました。特に2006年のドイツW杯は忘れられません。初戦のオーストラリア戦で逆転負けを喫したその1時間後に携帯が鳴りました。試合後のアドレナリンが完全に引ききらぬなか、同点のきっかけとなったロングスローの対応について意見を求められました。「DF陣の足が完全に止まったあの流れでGKが前に出る判断をするのは決して悪くない。失点は結果論であって、試合全体でのパフォーマンスは切れていたよ」という内容を伝えたと思います。敗戦を引きずらず、次のクロアチア戦でPKを止めてくれたときはとても感動しました。
その後川口選手はFC岐阜を経て昨年のシーズンからSC相模原でプレーしています。距離が近くなったので、たまに練習を見に行き、練習後にお茶を飲んだりしています。40歳を越えた川口選手が自分の国際経験や日本のサッカーを振り返って何を思うのか。それを伝えてもらうのが今回のシンポジウムの趣旨でした。僕が十分に川口選手の魅力を引き出せたかどうかは分かりませんが、小学校2年生から大学教授まで集まった会場の皆さんが喜んでくれたことは確かでした。現役の選手としてまだまだ活躍してくれることはもちろんですが、将来は指導者として日本のサッカー界を盛り上げてくれることと思います。
さて、そんな川口選手とも日本サッカーの文化的環境や育成についてよく話すのですが、正直なところなかなか明るい話題にならないのが現実です。ところで皆さんは日本サッカー協会が2005年に出した「JFA2005年宣言」をご存知でしょうか。その中では日本代表(男子)が2015年までに世界のトップ10になると「約束」されています。しかしその2015年には50位台、2017年の現在でも40位台です。もちろんこの数字は一つの指標にしかすぎません。しかし昨年のヨーロッパ選手権で躍進したFIFAランク21位のアイスランドの総人口が31万人で、日本サッカー協会の登録選手数が93万人ということを考えると、少なくとも理想的な育成環境や哲学が構築されて浸透しているとは到底思えません。
例えば先日、同僚のイギリス人教授から悲しい話を聞きました。教授の息子は小さい頃からサッカーを始め、地域のトレセンに選ばれるなど非常に優れた選手でした。現在は高校のサッカー部で活動しているのですが、先日、父親である彼にこういったというのです――「次の大会が僕の最後のサッカーだから」。これはいわゆる燃え尽き症候群ではありません。この少年は日本の部活動文化の不条理に心底愛想が尽きたのです。例えばこんなことがあったといいます。<新入部員がまだロッカールームの使いかたが分からずに戸惑っていると、上級生がそれを見つけて6kmの罰走を課した>、<ある選手が不手際を起こして、その学年全員が1週間毎日10kmの罰走を課せられた>、また<指導者からプロテイン摂取の指示が出たが、それは少年期に適度な摂取量をはるかに超え腎臓病を引き起こすリスクさえある量だった>。こうしたことがストレスとなって、彼はもう今後はサッカーに打ち込みたくないというのです。わずか3年前には目を輝かせてサッカーの魅力を僕に語っていたこの少年が、もうサッカーを愛せなくなっている。父親の愛情を受け取る一番のツールであったサッカーを、部活動文化は彼から奪ってしまったのです。
このような、指導者や先輩のいうことには絶対服従といった旧態依然の運動部活動はまだまだ少なくありません。そしてそのような部活動のしきたりを良しとする声も根強いのです。大学の教員をしているとよくわかるのですが、体育会系の学生が就職に強いというのは事実です。企業としては不条理にも文句を言わず黙って服従するストレス耐性の高い人材のほうが使いやすいからでしょう。ただ考えなければならないのは、そのような目的のためにスポーツが存在するのか、ということです。以前にも述べましたが、スポーツ基本法にはすべての人がスポーツを楽しむ権利を持つと書かれています。上のような部活動の現状は、明らかににその権利の実現とはかけ離れています。
また、小学5年生のある招待大会に参加したときのことです。優勝したチームの指導者は、試合後にミスをした子どもの首を掴み恫喝していました。もしこれが街中で起こっていたら明らかに虐待です。スポーツの現場は不思議なことにそのような行為がまかり通るのです。また別の大会では優勝したチームの選手が相手の女子選手と握手をした後にその手をユニフォームで拭きとるしぐさを見せました。問題はそれを見ていたであろうそのチームの指導者も、審判もその行為を咎めなかったことです。これらはともに、人権を深く傷つける行為です。そして残念なことに、大人がそのことを認識していないばかりか、ときには加担さえしているのです。
さて、ここで被害者は誰なのでしょうか。恫喝された少年、汚いものとして扱われた少女はもちろんのこと、僕にはその指導者、そして手を拭いた少年まで、すべてがサッカーの被害者なのだと思えてなりません。おそらく恫喝していた指導者は、自分の少年時代に同じような指導を受け、そして他のやり方を学ばないまま自分が教える立場になっているのだと思います。手を拭いた少年は、サッカーが他の子より上手にできることで自己を肥大化させたのでしょう。サッカーさえやっていなければ、彼らはこのように他者を傷つける人間にならなかったかもしれません。少なくとも勝つことに執着しなければ、彼らは被害者にもならず、新たな被害者を生み出さなかったでしょう。
サッカーは子どもたちに夢を与えるとよく言います。しかしオーストラリアのメディア社会学者デビッド・ロー氏は、それこそがメディア産業の策略だといいます。メディアはスポーツの光の部分だけを誇張します。というのも、スポーツという“コンテンツ(素材)”を素晴らしいもの・美しいものに見せかけ続けることで、放送局や広告代理店のようなメディア産業、そしてスポーツ関連企業の利益が維持・拡大できるからです。ですから、メディアは「スター」を作りあげ、子どもたちがその選手にあこがれるよう導きます。しかしその裏では、世界的にそうなのですが、実際のプロ選手の大半が低賃金で将来の保証のない脆弱な労働者なのです。そしてまた、その「夢」をよい餌にして人権意識の希薄な指導者が子どもたちに虐待を行っている現状も残念ながら広く存在します。
僕と川口選手の会話はいつもこうした内容なのです。川口選手もまた、海外経験を積むなかで人権意識をしっかり持たなければ良いサッカー選手どころか良い人間になれないことを学んだといいます。そして現状の日本サッカーのこうした育成環境を強く危惧しているのです。サッカーを「強くする」というとき、もちろんサッカーという競技のテクニカルな分析とコーチング理論も重要でしょう。しかし文化としてサッカーが育まれることを抜きには、それは考えられないのです。そのためには例えばDAZNから入る巨額な放映権料が日本サッカーのどのような場所にどの程度投入されるのかも重要なこととなります。もしJリーグのトップクラブがさらなる「スター」軍団になるために使われるならば、それは結局のところサッカーを愛する私たちのためではなく、サッカーで儲ける人々の利益拡大につながるだけになるでしょう。FIFAランクが上がらない理由は実のところそういうところにもあるのかもしれません。
さて、サッカーを愛する子どもの親である私たちはどうすればいいのか。子どもが「プロの選手になりたい」という夢を持つこと、そして親がそれをサポートしてあげることは全く悪いことではありません。実際に川口選手も子どもたちに夢を与えたいと言っています。ただ、親である私たちがその業界に存在する様々な矛盾やリスクを知っておくことはとても大事だと思います。その夢には前述のような状況に直面して傷ついたり挫折したりする可能性があることを認識し、それも含めて支えてあげる知識と覚悟が必要なのかもしれません。子どもたちはまだ長い人生の最初のステージです。その子たちの人生にサッカーが正しく寄り添ってくれるようにサポートするのが、親やコーチの役割だと思います。そしてわが緑山SCもそうしたクラブであり続けてほしいと思います。