スポーツ社会学者・有元センセのコラム②
みなさんこんにちは。JR.副代表の有元です。早いもので前回のコラムから3か月が経ちました。この間本業の方では2020年オリンピック・パラリンピック東京大会について学会で話したり、論文を書いたりと、久しぶりに慌ただしくしておりました。しかし新国立競技場建設や大会エンブレムといった一連の騒動を見ても分かるように、日本のスポーツ界は決してクリーンでもフェアでもありません。スポーツを研究していて思うのですが、一般に思われているほどスポーツは無条件で良いものではないんですね。「スポーツは夢を与える」とよくいいますが、実際には「スポーツは夢を与える...こともある」ぐらいでしょうか。むしろ人々がスポーツにどう関わっていくかによって、それは良いものにも悪いものにもなるのだと思います。
さて、今回のタイトルは「耳を傾ける技術」です。少し学問的な雰囲気から入ってみましょう。イギリスの社会学者でレス・バックという人がいます。彼はその著作『耳を傾ける技術』の中で、アウシュヴィッツから生還したプリーモ・レーヴィというイタリア人作家を引きながら次のように書いています。
物語が語られるようにするには静かにしておくという忍耐が必要ですが、それは物語の内容にも重大な影響を与えます。というのもレーヴィが書いているように、「気の散った聴衆や敵意のある聴衆を前にすると、どんな先生でも講師でも気が滅入ってしまう。逆に親しみのある人々を前にすると元気が出る」ものだからです。プリーモ・レーヴィにとって聞き手の技術とは、自分が語ることを慎み、話し手の声を聞くことによって遂行されます。耳を傾けることは積極的な行為であり、習得されるべき「関心を向ける方法」なのです。(レス・バック『耳を傾ける技術』12ページ)
実は僕、この一節を金言としています。職場の大学で学生たちと話すときもそうですが、普段家庭の中で自分の子どもたちと接するとき、そしてサッカーの指導となるとなおさら強く意識しています。一日が終わるとき、この一文に照らして自分の振る舞いが適切だったかを振り返るのです...
サッカーではよくコーチが「声を出せ!」とか「コミュニケーション!」といった掛け声をかけていますよね。サッカーは位置の固定が比較的少ないスポーツで選手が流動的に動きますから、誰がどのように動き、何をすべきかについての選手同士の意志疎通が欠かせません。パスを出してほしい時は「パス!こっち!」と言うべきですし、守備でも「○○!あの選手マークして!」とか「こっちは僕が行く!」といった言葉がどんどん飛び交う必要があります。もちろん「がんばろう!」とか「ナイスシュート!」といった掛け声もチームを励ますためには大事なのですが、それ以上に意思疎通の言葉はサッカーの重要な「技術」なのです。しかしこの「声」問題、本当に難題です。試合を見ていて相手チームはよく声が出ているのに自分たちの子どもは声を出さなくてイライラしたことはありませんか?同じようにコーチとしても、どんどん選手に声を出してほしいわけです。ではどうすればいいのでしょうか?「大人しいから」とか「暗いから」と子どもたちの性格のせいにする前に、何か手立てはないのでしょうか?
もちろんどんな問題であれ冷静な分析は必要です。声が出ない要因は様々あり、例えば実際にプレーの判断が難しい局面で選手が「何を言ったらいいか分からない」場合もあります。あるいは試合のプレッシャーなど過緊張で心理的に声が出せない場合もあります。そうした場合に大人が「声を出せ!」と怒鳴ったところでそれはストレスになるだけですね。ではもっと普通に子どもたちが自己表現に踏み出せない状況ではどうでしょうか。実のところ、「ちょっとしたきっかけがあればこの子は今声が出ていたはずだよな」という状況が多々ある気がするのです。
ビジネスの世界でもディスカッションを活発にするための「アイスブレイク」とか、「ファシリテーター」などが注目されていますね。前者は実質的な議論に入る前に心の壁をほぐすゲームなどをいれること、後者は参加者が意見を出すのを促す役割を演じる人のことをいいます。ですが僕自身がそうした問題への対応として別の角度からヒントをもらったのは、イングランドのサッカー協会が発行した『Football Parents(サッカー親)』という本からでした。その本では各年代に合わせた子どもの心理的・身体的・技術的発達、そしてそれに応じた親/コーチのあるべき態度が書かれています。その中でこういう一節がありました――「8歳以下の子どもの特徴は“おしゃべり”なこと。親やコーチはその特徴を利用して、どんどん自分から質問させたり、しゃべらせること」。これを読んでまさに目から鱗が落ちる思いでした。僕たちは親としてもコーチとしても、言語能力が急激に発達するその時期の子どもたちに「話を聞く」よう要求しがちです。子育てでもサッカー指導でも「良い子=よく聞く子」にしようとしてなかったでしょうか。この本では、その時期をまさに子どもたちの自己表現能力を育むチャンスとして捉えていたのです。子どもたちは言葉がどんどん使えるようになってくるからそれを使っていろんなことを表現したい。しかも、年齢的に他者と自己を隔てる心理的な壁がまだできあがっていない。もう大チャンスなんですね。だからこそ話を聞くべきはむしろ大人側で、子どもたちがどんどん自分から話す=表現するような状況を作ってやらなければならないというのです。
話を聞いて、子どもたちの口から「物語」をできるだけ引き出すこと。しかしこれは簡単ではありません。なぜ先程社会学者の言葉を引用したかというと、そこにもう一つのヒントがあったからです。バックさんは耳を傾けることは一つの技術だから習得しなければならないと言います。つまり、僕たちが大人だからといってその技術は初めから備わっているわけではないのです。自分が話したいという思いを制御する忍耐力や、「良い聞き手」としての振る舞いは、意識的に習得し、実践しなければならない技術だというわけです。技術ですから頑張れば身に付くし、頑張らなければ身に付かない。つまり、僕たちはよく子どもに「ちゃんと頑張りなさい」といいますが、だったら僕たちもまた頑張って「耳を傾ける技術」を習得する必要があるのではないかと思うわけです。
僕自身もまだまだ修行中ですが、緑山グラウンドで子どもたちを相手に使っている技術の一つに、「質問を重ねる」というものがあります。これは今のところかなり効果をあげているので少し紹介します。5年生の練習試合後のミーティング風景です...
有元:今日はどこが良かった?
A君:パスがよくつながった!
有元:え、じゃあどうしてパスがよくつながったの?
B君:みんながちゃんと広がったから!
有元:あー、みんなが広がったんだ。じゃあ、いつどんなタイミングで広がったの?
C君:あのね~、パスを出す前!
有元:なるほどね。パスを出す前に動くとどうしていいの?
B君:パスを出しやすくなるから。
有元:そうだね。コースが見えてパスを出しやすいよね。じゃあ、他にパスがつながった理由はある?
D君:声がよく出た!
有元:なるほど!じゃあ、声っていつ出せばいいの?
B君:えっとね~、その前の選手がパスを受けるとき!
有元:お~、前の選手がパスを受けるときに声を出したら、トラップの方向とか決めやすいよね。すごいね~!B君、君をサッカー博士と呼ばせてもらうよ!
一同:笑
この会話はほぼ忠実な再現です。驚くことに、僕は一つも答えを言っていないのに、子どもたちがどんどん正しい答えを見つけてくれます。僕の役割はそれを整理してあげることぐらいです。もしいつも「聞きなさい。私が正解を教えます」という態度であれば、子どもたちは受動的に聞くことに慣れていきますし(といっても本当に聞いているかどうかは怪しいですよね)、なによりそれは自己表現の機会を奪っていることに他なりません。もちろん全てのコーチングが悪いわけではないでしょうし、時には厳しい説教が必要な場合もあると思います。しかし、それは「良い聞き手」であることとのバランスが取れていなければならないと思うのです。
僕もいろいろな工夫を試しながら失敗や成功を味わっています。自分が話しすぎることも多々あります。ある時、自分自身でも「これは聞いているふりをして実のところ特定の答えを押しつけているな」と感じるときがありました。その時は質問された選手の口が最後まで開きませんでした。家に帰って猛反省です。逆に嬉しいこともありました。普段あまり発言することのなかった選手が、練習試合のとき突然コーチ用の作戦ボードを使って僕に質問してきたのです。彼にとってはとても勇気のいることだったと思いますが、その勇気を出して自己表現をしてくれました。その選手は今どんどん成長しています。
さて、このイギリス人社会学者のレス・バックさん、実は僕の学生時代の恩師です。彼は国境を越えて10年間もダメ学生だった僕の声に耳を傾けてくれました。彼から受け継いだ「耳を傾ける技術」を緑山グラウンドで発揮していきたいと思いますし、みなさんも折にふれ意識してみてはどうでしょうか。